古典に関連した書籍
田中雄二の漢文早覚え速答法―試験で点がとれる (大学受験V BOOKS)
点をとることに限定した邪道な本。 そんな印象を持つ輩がいるようだが、何がいけないことなのだろうか?まず、漢文がセンターのみの人はこの本で十分だ。漢文が二次にない大学に行くような人が、大学へ行って漢文に関する道へ進む可能性など限りなく低い。つまり漢文はセンターを乗りきれば、もうポイ。そんな科目はこの本で速攻で終わらせて、しまえば良い。邪道だなんだ言うのは詭弁に過ぎない。又、二次にも漢文がある者はこの本だけやって、問題演習、過去問演習をやらずに本番に望む人なんかいるわけない。つまり二次に漢文がある者は、この本で基礎を身に付け問題演習しながら肉付けすれば良い話なのである。 それを邪道だなんだって綺麗事を言うのはおかしい。合格するために受験するのだから、点を取ることに固執して何が悪いのか。
富井の古典文法をはじめからていねいに―大学受験古文 (東進ブックス―気鋭の講師シリーズ)
古典の知識が全然ない人でも、これならやっていけると思います。毎日読み進めるのも苦になりません。★5つにしたいところですが、これだけは無視できないというのがあります。助動詞の活用や接続などを覚えやすいようにCDがついていて富井さんは普通な感じでやってくれているのですが、井上喜久子さんは自分は声優が本職であることを意識してか、ちょいちょいアニメっぽい声を入れてきます。普通の声の時はいいのですがあの声に変えてくることがけっこうあって、聞いていると気持ち悪くてイライラしてきます。だからあまりCDには期待しないほうがいいですよ。
高校時代に読んでから、『罪と罰』はもう死んだ小説だと思っていましたが、十分に高揚できました。まさに現代小説です。19世紀臭さがないのは、ペテルブルグの町がまさに新宿あたりに近い現代の絵と重なっているからだと思います。翻訳では、ラスコーリニコフの凶暴性が際立っているのがとても印象的でした。その彼が、エピローグの最後の場面で徐々に徐々に改心していく場面には、涙が出るほどに感動しました。翻訳は、要するに翻訳臭さがまったくなく、少し変わった文体の日本の作家が書いた小説という印象を受けます。この翻訳よりも読みにくい小説を書いている現代作家は少なくないと思います。以前、新潮文庫で読んだことがありますが、冗長であいまいな印象はまったくなく、あっという間に読み終えることができたのは、どこか奇跡を感じたほどです。それにしても読書ガイドもまた圧倒的です。他の文庫本よりは少々値段が張りますが、岩波と比べると少し
ことばはちからダ!現代文キーワード―入試現代文最重要キーワード20 (河合塾SERIES)
全てが栄養になります。 現代文はここから始まります。 言葉をこんなにも噛み砕けるのか、と感動します。 現代文が受験科目にある受験生は勿論、 現代文が受験科目にない受験生、さらには社会をcriticalにみたい社会人の方々。 是非読むことをお勧めします。 本当にここに書いてあることが分かれば、世の中の社会情勢まで分かるようになります。 そして、そこまで来れば、頭の中に現代文の枠を超えた思考が生まれることでしょう。 ただ2章は物足りないように感じます。 問題を解きながら、背景知識を獲得していくべきです。 とにかく自分の言葉で説明ができるまで読み込む。 根気のいる作業ですが、途中から楽しくなってきますよ。 あと、売り上げの一部を寄付しているというところも素晴らしい!
村上春樹の小説を読んでいると、カラマーゾフの兄弟のイワンのことを良く思い出す。 頭がとても切れるが、人生に対する深い諦めを抱いていて、結局自滅していく男性。 「ノルウェイの森」の永沢さん以来、繰り返し登場していて、最近の「1Q84」でいえば 小松、あるいはふかえりの父親もそうかも知れない。 なぜこのタイプの人物に彼がこれほど魅かれるのかを確かめたくて、改めてこの本を 読み返してみた。 昔は人を見下したようなイワンに反感を抱いていたが、今は真摯さと彼の不完全さが 良く理解できて、むしろ同情するようになった。 大審問官というシステムの権威に盲目的に従い、自分達が無数の悲劇を生んでいることにさえ 無自覚な民衆(現在の日本の社会人の大多数もそうだが)と異なり、イワンは孤独の中、 自分の頭で考え、何とか社会を変えようとし、挫折していたのだろう。 この本は、宗教書のように権威の象徴として崇めるのではなく、現
富井の古文読解をはじめからていねいに―大学受験古文 (東進ブックス―気鋭の講師シリーズ)
古典文法をていねいに、と同じく読みやすい。苦手な人にお勧め。 富井先生のシリーズは別冊がかなり秀逸。本編で学んだことをザッと復習するのに最適。
第2巻では、原著第3部と第4部が収録されている。第3部は、今回の彼の犯罪の動機が明らかにされるという非常に重要なもの。悪役スターで怪人、しかし興味深いキャラ・スヴィドリガイロフも登場してくる。天使のようで天使でない(ベンベン!)しかし本当は天使そのものであるソーニャの魅力にぞっこんするのもこの第2巻である。 おとぼけキャラ・予審判事ポルフィーリーと警察事務官ザメートフを前に朗々と開陳するラスコーリニコフお得意の独特の「犯罪論」!(あると思います!) 「凡人」VS「非凡人」、「第一の階層」VS「第二の階層」、「現在の主人」VS「未来の主人」等々、21世紀の文学・哲学世界にも大きな影響を及ぼしている彼の思想は、「新しいエルサレム」が誕生してしまった今でも受け継がれている大きな課題である。 巻末の「読書ガイド」は第1巻に引き続き亀山先生の筆が冴え、「罪と罰」が書かれた時代背景、ドストエフスキーのギ
あれは大学生の時、新潮文庫の「罪と罰」に手を出した。下宿の洋式便所に座ってウンウンうなりながら、何とか上巻を読み終えて、そして下巻は買わなかった。面白みを感じないどころか、苦痛だった。 10年後。「カラマーゾフの兄弟」で虜にさせられた亀山訳を買ってみた。本当にあれと同じ物語なのか。熱病の主人公がずぶりずぶりと沼に足をとられていく様。この読み手を捉える吸着力が新訳の魅力だ。 ただ、「カラマーゾフ」に比べ、いくらか訳が軽く、それでいて「新訳」になりきっていない、古い表現も目に付いた。たとえば、2巻の帯にある「ぼくをなぶりものにはさせませんよ」。なぶりものって、いかにも岩波文庫で使われそうな表現じゃないか。「ぼくを弄ばせたりはしませんよ」とかでいいんじゃないのかなあ。